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第1回 三丁目コラム「秋葉雑記」 | 第2回 京橋の想い出あれこれ | 第3回 京橋川を渡って御輿入れ

京橋ものがたり

宝町は、宝町になる以前の町名は印旛町(いなばちょう)と呼ばれていたそうで、命名は、ぬ利彦さんの今の中澤社長の三代前の人が付けたと伺っていますよ。昭和五十三年に住所表示の実施により宝町から京橋へ変更されて、宝町は公式にはない町になってしまいましたが、町会としては残っていて地下鉄の駅名にもなっています。

看板 昭和二十年五月二十五日に東京大空襲で焼夷弾を落とされ、歌舞伎座は焼失、皇居の一部と日枝神社も一部焼けました。うちも三つの焼夷弾が落ちて、消すことは出来ましたが、ガラスが熱で焼けて窓から炎が真横になって入ってきたため、家は全焼してしまった。木造が多かった宝町一帯も焼けてしまいました。その時、仕事で使っていたアルミニウムのインゴットの板が全部溶けて昭和通りまで流れ出たんです。アルミニウムの融解率は六百度なので、少なくともその位の温度にはなっていたと思います。焼け出されて三、四日は余熱で家には近寄れませんでしたね。だいぶ後になって外に吊るしてあった看板が一部焼け焦げましたが空襲に遭っても焼け残っていたことがわかりました。外にあったので助かったのでしょう。家の中の方が熱かったことがわかりますね。家族と従業員が全員無事だったことが幸いでした。私が「全員無事!」と、張り紙を出したんですよ。

今では亡くなった人も京橋(宝町)を離れた人も多く、終戦当時の話を一緒に語れる人が少なくなってしまいましたね。