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企業インタビュー
石川 勲さん(京橋大根河岸会会長)

開店時間を延ばし、夜店などで特色を出す。

この6月から京橋大根河岸青物市場跡広場で毎月大根を350本配っています。大根河岸だから大根で2年後に350周年を迎えますから350本にしました。築地市場は青果物も扱っていますが、築地というと魚河岸のイメージが強い。それを払しょくするためにいろいろなことをやっています。今回もそういう意味で持って築地市場の青果部は大根河岸が発祥の地だからそこでやろう。産地にも呼び掛けて協力をしてもらいながらやっていきたいと思っています。

1935年に築地に移転するまで江戸時代から京橋川を挟んで大根河岸という青果の問屋集団がありました。発祥は数寄屋橋ですが大火後、京橋に移転してきました。寛文の頃だと言われていますからだいぶ古いわけです。今年は348年目に当たりますので、私たちが京橋ではいちばん古いのかなと思っています。

半纏 なぜ大根河岸になったかはわかりません。資料を集めようとしましてもね、関東大震災でも戦争でも焼け、残っている資料は非常に少ない。その数少ない文献を見ますと河岸ではなく川岸と書かれています。また京橋から歩いて紺屋橋の右側の角に食堂があったようでその写真が残っていますが、その名前も大根川岸食堂になっています。お祭りの半纏も大根川岸になっていましたから私たちはこだわって公式には大根川岸と書くようにしています。なぜそうなったかはわからない。おそらく日本橋に魚河岸があったのでそれとの区別かなとも思うのですけれども。真相はわかりません。

私は1937年現在の八重洲2丁目で生まれました。戦争で疎開した時期がありますが、1988年まで京橋で暮らしました。代々青果問屋をやっており、関東大震災の前は店も京橋3丁目にありました。関東大震災の後の区画整理で八重洲2丁目に移転しました。昔のことなので詳しくはわかりませんが、3階建ての木造の建物が多かったようで私の家も木造3階建てでした。1階は土間で商いをするところで、住まいは2、3階でした。広い部屋がありまして近郊から牛車や馬車で野菜を運んでくる荷主が一晩泊まる。荷物を下して一晩泊って、明くる日お金をもらって帰っていく。荷主が泊まるところがどこの問屋さんにもありました。そういうつくりだったみたいです。

今は埋め立てられ高速道路になっていますが、京橋川に揚げ場があり、石の段々になっていて川まで降りられた。戦前はそこでめだかなどを採って遊んだという記憶があります。紺屋橋のところにボート屋もありました。その頃は水もきれいでしたが、戦後だんだんどぶ川になってしまいました。昔は大根河岸で働いていた人で泳いだ方もいるようです。白魚が採れたから白魚橋があるわけでしょう。

昔は銀座だけが賑やかで、日本橋はそうでもありませんでした。八重洲もそんなに賑やかではなかった。いつのまにか八重洲に店が増えてきました。ここ20年ぐらいでしょうか。ただサラリーマンが多いからその動きに合わせて、マージャンが流行った頃はいたるところに雀荘でき、喫茶店も多かった。いまは雀荘も喫茶店もほとんどありません。飲食店が増え、お昼になると溢れてきます。

京橋は金融街のようにほとんどの四つ角の大きなビルの1階は銀行や生命保険など金融関係が入り、午後3時になるとシャッターを下してしまう。だから人を寄せ付けないような雰囲気がありました。それでは人通りは生まれない。あれはマイナスだったと思います。金融関係はビルの上でもよかったのではないでしょうか。やはり長時間開けている商店で人の流れをつくっていかないと。つくれば日本橋までつながるのではないでしょうか。戦後、銀座通りに夜店がありましたが、そういうものを復活させるとか。

やはり人がいなければだめだと思います。特に京橋はみんなビルにしてしまって大手の会社の人が通勤するようになりましたが、夜間人口は少ない。昔からの人も事務所はあるが住まいは別のところにある方が多い。それでは栄えない。夜間人口が定着するようなところや人が来るような商売をしている商店街でないとだめだと思います。月島がもんじゃで人を集めるようなことをしていますが、京橋は特色がないじゃないですか。

現在の大根河岸会の会員数は約70名です。その3分の1が築地で仕事をしています。3代目ぐらいになると関心が薄い。このままでは大根河岸の存続は難しいと感じています。京橋3丁目にある碑には130名ぐらいの当時の協力者の屋号や氏名が書いてありますが、生き残っているのは僕だけです。父が戦死してしまったから、碑をつくる時に私の名前を書いたからです。

350年の歴史の中で数寄屋橋から京橋に越したのが1回、京橋から築地に越したのが2回、今後豊洲に移転する。350年の中で3回目の引っ越し。わずか3回しか引っ越していないというのはすごいことではないかと思います。3回目の移転に立ち会えるということは大根河岸のメンバーとして誇りに思っていいと思います。

石川 勲(いしかわ いさお)
1937年東京都生まれ
京橋大根河岸会会長・
東京中央青果株式会社代表取締役社長
5年前から「築地のおいしいババナ」というブランドをつくっている。

http://www.tsukiji-banana.com/

石川勲会長

聞き手
中崎 隆司(なかさき たかし)
1952年福岡県生まれ
建築ジャーナリスト・
生活環境プロデューサー

中崎隆司